マイノリティーの声(VOM)


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  じいさん方、ばあさん方が、
  和人たちをひどく苦しめたことが
  何かあったでしょうか?
コタンで生まれた葛野次雄さんの詩
『 ウタリ アネカンホ クニ(同胞を 我々が迎える ために)』から

 
2020.4.3朝日新聞朝刊 さまざまな「マイノリティーの声」に出会うたびに忸怩たるおもいがつよくなります。
みなさんと共有したいです。
「マイノリティーの声」のホームページを開設します。
目的はそれぞれのページ(在日コリアン、アイヌ民族、沖縄、部落)に掲載しました日本におけるマイノリティーの正しい姿を広く日本人に知ってもらうことにあります。 従って情報はそのマイノリティー集団に属する当事者の声を原則にしています。
そしてその声がどれ程客観性を持っているかの判断基準を国連の宣言・規約に求めました。
国連基準ではまず「国連憲章の前文」を取り上げます。その後国連で採択された1948年の「世界人権宣言」にはじまり1965年の「人種差別撤廃条約」、 1966年の「経済的、社会的、文化的権利に関する国際規約」、同じく「市民的及び政治的権利に関する国際規約」を国連基準のページに掲載します。 これらの基準に照らして日本国内のマイノリティーの現状を当事者の声を中心に取り上げます。
今わたしが感じていることは部落、在日コリアン、アイヌ民族、沖縄の問題は江戸時代から明治以降の歴代の日本の支配者の政策と 深く関り、共につながっているということです。根は同じです。
部落の問題は、江戸時代の身分差別を明治維新以降も約100年間、1965年まで国の政策として真剣に取り組んでこなかった歴史があります。
在日コリアンの問題は、明治政府の征韓論にはじまり、日清・日露戦争、日韓併合と朝鮮半島の植民地化へと進み、 その後の昭和の満州事変から戦後へと、今もつづく日本政府の対朝鮮政策が原因となっています。
アイヌ民族に関しても、幕末から明治にかけて一方的に北海道のアイヌ民族の居住地を開拓の名のもとに土地を奪い、 生活も文化も破壊してきた歴史があります。
沖縄も然り。江戸時代はじめの島津藩による「琉球侵攻」(1609年)、明治になって1879年(明治12年)の「琉球処分」 による沖縄県の設置(この時清国は抗議しています)、そして戦後の基地問題へとつづいています。
日本の江戸時代以降の近現代史は、マイノリティーの目から見ますと支配者は常に対外的には朝鮮、琉球、アイヌへの侵攻・侵略と 対内的には部落差別の強化・放置・融和であったといえます。 このような歴史にいまマイノリティーは何を訴えているかをこのホームページで取り上げていきたいと思います。
 2018年5月1日
                                               大西信也
                                               プロフィル 

【HP作成の記録】
※2018年7月1日 取り合えず「在日コリアン」のページから掲載をはじめます。 順次アイヌ民族、沖縄へと進んでいく予定です。
※2018年7月5日 「国連基準」のページを不十分ですが仕上げました。
※2018年8月6日 「アイヌ民族」のページに取り組んでいますが、開設の目的に書きました認識を大幅に変更する必要を感じています。 アイヌ民族の問題は単に幕末から明治にかけての支配者の問題ではないということです。詳細は「アイヌ民族」のページで現在勉強中です。
※2018年12月28日 「アイヌ」のページを一部掲載しました。二風谷裁判についてです。現地にも行き、私なりに勉強しました。 まだ「アイヌ民族の歴史」が残っています。阿部ユポさんの年表に基づいて勉強しています。ヤマトの人間にとっては深刻です。こころが痛みます。
※2019年1月14日 阿部ユポさんの確認が取れました。「アイヌ民族の歴史」の掲載を順次始めます。
※2019年2月6日 今日一応終わりました。これからは読んでいただくための工夫をしていきます。
※2019年3月2日 「アイヌ民族」のページが完了しました。「在日コリアン」の補足も終わりました。「部落」に入っていきます。
※2019年6月17日 冒頭に載せさせていただきました詩は2019.6.15のシンポジウムで出会いました。「(アイヌの)じいさん方、ばあさん方が、 和人たちをひどく苦しめたことが何かあったでしょうか?」との問いかけはこのホームページで取り上げていますマイノリティーの共通のおもいです。 差別を受け、苦しめられこそすれ一般の日本人を苦しめたことはありません。そのことをじーと考えていただきたいとおもいます。
※2019年6月30日 「沖縄」に入っていきます。
※2019年9月4〜5日 沖縄に行ってきました。まず琉球新報の新垣毅さんを訪ねました。 約2ヶ月間沖縄の勉強をしてきた結果、見えてきた今後の活動の方向の確認のためでした。
翌日沖縄県立総合教育センターのIT班を訪ねました。 私のHPで引用させていただいているアーカイブの引用の仕方についてご助言を得るためでした。もし著作権者の方にご迷惑おかけしていましたら どうぞIT班にご連絡いただければ私が誠意をもって対応させていただきます。(2019.9.8)
※2020年4月20日 親しい友人・知人にこのHPを読んでいただこうと決意し、5月1日に送ろうと考えました。ちょうど2年の節目です。 その日まで全体の体裁を整えます。
※2020年5月1日 全体を通して一応の体裁は整えました。それぞれのマイノリティーにそれぞれの課題があります。 当事者の声を聞きながら、拾いながら、私なりに全体像を掴めました。自分が具体的に何ができるか、も見えてきました。 これからはHPの内容を充実させながら、具体的な行動も並行して行っていきたいと考えています。
※2020年6月10日 アイヌモシリ回復訴訟の準備終了。
※2020年7月6日 知人からの指摘をうけ、HPの行間を広げる作業をしています。とりあえず沖縄とアイヌ民族 の頁が終わりました。(7月9日全頁終了)
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プロフィル
1945 奈良県生まれ
1971 一橋大学法学部卒
1971〜2006 学校法人桐朋学園(理事)
1999〜2006 国立大学通りマンション訴訟(事務局)
2005〜 景観市民運動全国ネット副代表
2014〜 オペラ《白峯》・「深大寺聲明の会」世話人
                   (2020.6.29掲載)













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